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2007年1月29日 (月)

ノルディック複合と丸山寿明評論家

ノルディック複合と丸山寿明評論家

ノルディック複合は、今となってはいろんな人が出ていましたが、
やっぱり1人上げるなら、白馬の丸山選手かな・・。

この選手は、志賀高原スキークラブの児玉さんとか、東京美装の阿部さんとか、
主に80年代から90年代にかけての世代の人だけど、
当時は、北野建設の荻原兄弟が、まだ長野原高校にいたりして、
インターハイで兄弟ワンツーフィニッシュしていた頃だから、
まあサラエボから、次のカルガリーの頃がメインなのかな・・。

当時は、児玉、阿部、三ケ田氏辺りは、海外W杯遠征組で、
海外を転戦してました。
もちろん当時は、まだ海外で勝てる訳はなく、
まあ泣かず飛ばずの複合日本でした。

そんな中、ベテランとは言われてましたが、
最後のオリンピックに出ようと、丸山氏は頑張ってましたねえ。
だけど彼が全日本で幾ら頑張って優勝しても、
年のせいか、中々難しかったかなあ・・。
海外転戦組は、何もしなくても高い評価で、少しひいきがあった気もする。

例えば、W選手とかもみんな出場して、丸山氏が全日本で優勝しても、
児玉は疲れているからと、海外組は、遠征で疲れているから、
例え勝っても負けても、仕方が無いという雰囲気があって、
幾ら勝っても結局はWカップ遠征メンバーに選ばれず、
駄目だったんだよね。
まあ年齢もあるかもしれないけど・・。

その後、河野氏、そして早稲田に入った荻原兄弟と出てきたら、
もう児玉氏あたりも駄目でしたけど、
アルベールビルやリレハンメルでは、
荻原、河野、三ケ田、阿部の4人が交代で戦うスタンスに代わってきたのは記憶に新しい。
リクルートの三ケ田にするか、ビソーの阿部にするか、悩みに悩んだところだけど、
二人とも、最後に金メダルを取れて、良かったのだろう。
功労者の二人だからね。

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2007年1月23日 (火)

ハチエフ評論家・・ハチエフと言えばスケート評論家!

ハチエフ評論家・・ハチエフと言えばスケート評論家!

ハチエフを知っている人は、もう日本でも数少ないだろう。
というか、そもそも知っている人が過去に居たのか分からないが、
もしもそんな人がいたら、本当に凄いです!
もうスケートマニアではなく、オリンピックマニアでしょう。
何故なら、ある意味、彼は、それほど有名に活躍した選手ではないからです。

ハチエフとは、オーストリアのスピードスケートの選手で、
主に中長距離を得意としてました。
カルガリーオリンピッックでも、1500mと10000mでメダルをとった名選手でもあります。
ただもちろん日本人には、ほとんど知られていません。
例えば、ウーベイエンスメイやジャンセン、ゼレゾフスキー、グスタフソン、ボニーブレア、グンダニーマンシュテル、
最近なら、センデロール、ヤンボス、ウォザースプーンなど、
メダルに縁があろうと無かろうと有名な選手は一杯居るわけです。
ところが、ハチエフは、メダルをしっかりと取っても、あまり有名でないのです。

ただ一つ言える事は、ハチエフは、外見が面白い(笑い)です。
一度見たら結構忘れません(笑い)。
長野オリンピックの頃は、まだまだ変なゴーグルの人はあまり居なかったけど、
ハチエフのゴーグルは、既に変(笑い)でした。
なんか変な形です。
そうです、ハチエフの外見は、まさに虫でした(笑い)。
爬虫類と虫のあいの子のようなものです。

以前、長野オリンピックの前に、当時の長野県知事が、
「スピードスケートはみずすましみたいで面白くない!」
と発言し、長野県中に物議を醸しました。
でも、スピードスケートはみずすましではありません。
とてもハードで真剣で、かつ面白いスポーツです。
ですが、ハチエフと言えば・・、まさに、ハチというか、みずすまし(笑い)です。
変なゴーグルで滑っているなあ・・・。
そんな選手でした。

また彼が記憶に残らないのは、オリンピックしか活躍しないという理由もあります。
そうです、4年に1回活躍する選手です。
スケートというのは、毎年何試合もW杯が開催されますので、
Wカップで何勝するかが勝負なのです。
スキーでも、スノボでも、リュージュでも、冬季競技はだいたいそうです。
ところが彼はWカップで活躍してなくて、あまり目立たないのですが、
オリンピックになると元気になって、活躍するんですね。
4年に1回元気になるんです。
まあそういうハチエフばりの選手も必要です。

特に今の日本選手は、普段は調子良くても、オリンピックが駄目な選手が多いので、
目指せ!ハチエフ!
目指せオリンピックだけ調子良い選手!という感じはします。

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2007年1月15日 (月)

箱根駅伝で、早稲田大学の持つ区間記録がどんどん無くなって行く!

箱根駅伝で、早稲田大学の持つ区間記録がどんどん無くなって行く!

箱根駅伝といえば、中央大学、順天堂大学、日本大学、法政大学、大東文化大学・・・、
古くは、明治大学、慶応大学、東京師範・・。
近年では、駒沢大学、東海大学、神奈川大学、山梨学院大学・・・、
いろいろありますが、
こと個人の記録といえば、近年では、早稲田大学がトップとなる。

90年代初めに、主に瀬古監督のもと、
いわゆる大砲と呼ばれる小数の選手が引っ張り、
なんとか優勝を成し遂げていた時代である。

早大では、駅伝部の人数が限られるので、
どうしても、超有力で、実力のある”大砲”と、
その他の選手の実力差が大きく、
選手層は薄く、中々優勝は出来なかったが、
そのぶん、個人記録は続出した。

一番には、現在の早稲田大学駅伝部の部長の渡辺康幸。
早稲田の大砲の代名詞でもある。
95年頃に、2区で当時の新記録1時間6分48秒を出しただけでなく、
94年にも1区で、1時間1分13秒の記録を持っていた。
その後、2区は、99年に順天堂大学の三代直樹に破られて、
1区は、07年に、東海大学の佐藤悠基に破られたが、
稀代の選手である。

それから、小林正幹。
第三区の1時間2分49秒と、
第5区の記録を持っていた。
また8区か9区も小林正行か小林正幹のどちらかが持っていた。
5区については、2000年及び2006年のルート変更によって、
記録が破られること無く消滅してしまった。
3区についても、06年に東海大学の佐藤悠基に破られてしまった。

佐藤悠基については、2年生にして、既に早稲田大学の記録2つを撃破したので、
早稲田キラーと呼んでおこう(笑い)。

それから、武井隆次も記録を持っていた。
7区である。
93年に、1時間2分53秒の記録で区間記録を持っていたが、
これはまだ持っているのか不明。

まあ、いずれにせよ、花田とか、櫛部とかあわせて、
早稲田のこれらの大砲が、
90年代の箱根駅伝を盛り上げ、新記録を出し続けていた事は特筆に価する。
素晴らしいことだ。

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2007年1月 8日 (月)

07年箱根駅伝、順天堂大学に、今井正人という宇宙人が降臨した!

07年箱根駅伝、順天堂大学に、今井正人という宇宙人が降臨した!

2007年の今年の箱根駅伝も凄かった。
1区ですでに4分以上の差があり、
小田原中継所でも、4区の佐藤から襷を受けた時でも、
まだ4分以上の差があったのに、
終わってみれば逆に1分42秒の大差が・・・。
一体どうなっているんだ?

中継中も、今井選手のことを、
山ノ神とか、山の神様とか言っていたけど、
私は、宇宙人と呼びたい。

今までに、山登りは、いろんな人がいたし、
スペシャリストもたくさんいた。
主な選手でも、
山の大東と呼ばれた、大東文化大学の奈良治。
彼も3分の差なんてへっちゃらで追い抜いていったし、

その後に、奈良治の記録を抜いて5区の新記録を作った、早稲田の小林正幹。
彼は山登りには向かないと言われ、
普通に、平地を走って区間賞を取り続けていたけど、
5区に移って箱根の山登りをしてみたら、
あっさりと奈良治の記録を抜いちゃった。
まあ東海大学の佐藤悠基(佐久長聖高校出)が新記録を出すまでは、
第3区の区間記録を持っていたけど、
それでも山登りも得意なのかと、周りもびっくり。

あと99年2000年の東海大学の柴田真一(市立船橋高校出)も、
2年連続区間賞と、まずまずでしょうか。

そんな中、当初の今井正人は、2年前に、
確かに11人抜いて5区の新記録作ったけど、
でも早稲田大学の小林正幹の時とはルートが変わったので、
たまたま巡りあわせの新記録だから、
まあ、どんなもんかなあと思ったんですけどね。
去年は更に距離が伸びたのに5人抜きして、1位をもぎ取った。
あれには、もう度肝を抜かれたよ・・・。

今年は、もう、神様今井正人が、どんな走りを見せてくれるのか、
というそんな感じだったが、
驚いたというよりも、驚愕したし、呼吸が止まったよ・・。
もう神様ではなく、宇宙人である。

これほどの強さを見た者は、もう駅伝やマラソンでも見る事はない。
しいて挙げるなら、冬季スキー競技の元祖宇宙人である、
荻原健司かなあ。
彼はノルディック複合において、
当時の史上最多の19勝した男だが、
それくらいの強さを感じる宇宙人かもね。

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