2007年3月 9日 (金)

リレハンメル五輪、葛西紀明の落胆と、原田の号泣きのスキージャンプ

リレハンメル五輪、葛西紀明の落胆と、原田の号泣きのスキージャンプ

オリンピックの名場面といえば、いろいろあるけれど、
私が1つ思い出すのは、
1994年のリレハンメルでの葛西の落胆と、原田の号泣きである。

当時、既にベテランの雪印の原田、
そして若手のホープ葛西紀明・・・。
もちろん岡部孝信や西方仁也もいたけど、
そんなメンバーの中で、日本の団体戦のメンバーでは、
原田はラストのジャンパーだった。

原田は当時から、のみの心臓と言われるほどの、
プレッシャーに弱い男だった。
だが、葛西をはじめ、若手が出てきた状況で、
起死回生の大ジャンプを出来るのは、やっぱり原田だろうということで、
原田がラストジャンパーになってしまいました。

葛西が、西方が、岡部が、ドンドン飛んで、
いい記録を連発していました。
西ドイツのバイスフロクや、オーストリアのゴルドベルガーとか、
ブレーデセンとか、有名選手は数あれど、
原田への期待は高まります。

そして原田の出番です。
日本の3選手が大幅にリードして、原田の出番にやってきました。
みんなも覚えていると思いますが、
原田は、8割程度の力で、
みんなの8割程度の距離をとびさえすれば、
それで優勝できるので、
誰もが優勝を確信し、3人は期待をもって、下から見上げていた。

そんな中、原田は飛び出した。
8割飛べば良いわけだから、子供でも大丈夫だし、
素人でもオリンピック選手でなくても、
普通にジャンプの素養があれば十分に飛べる距離である。

原田が飛び出した瞬間、みんなには、笑みがこぼれた。
そうです、とびさえすれば、まずは飛び越えられる、
そのくらいの短い距離ですから。
葛西は日本の日の丸を頬に描いて、
小さな日の丸を振りながら応援している。
他の選手も、頬には日の丸で、
楽しそうに原田を応援している。
誰もが原田の成功と、日本の優勝を確信していた。

ところが、その瞬間、
原田のジャンプが伸びない・・・。
原田のジャンプは、急に落ち始める・・。
原田のジャンプは、短くて雪面に落下した・・。

みなは愕然とする。
いくら日本チームは大量リードしているとはいえ、
どうなるのか、
みんなの不安はよぎる。

ちょっと短い・・。
だが優勝できないほどではない。
一体どんな距離なのか?
掲示板が出る。

圧倒的な短い距離、
日本は2位?

先ほどまでは圧倒的な優位に立ち、
3番目の選手までは1位に君臨していた。
もう優勝は確信できるような、それくらいのリードであった。

それがノミの心臓とも言われた原田の番になり、
一気に暗雲が垂れ込み始めた。

葛西の笑みは一気に薄曇になり、
笑みは消えた。
不安そう。
目が泳ぎ始めた。

原田がジャンプを終えて戻ってきた。
もうバツがわるそうで、何も言わない。
しゃがみこんでしまった。
頭を抱えている。
もう結果は明らかだろう。

結果が出た瞬間、原田はテレビ画面から消えた。
もう申し訳なくて仕方なかっただろう。
金メダルが確実ともいわれた中、
3人目まで、ダントツだった中、
素人並の低レベルのジャンプに終わり、
金メダルが去っていった。

葛西の顔は引きつって、落胆し、
原田の顔は号泣きに変わった。
もはや、もう誰も声さえかけようが無い。

原田だって頑張っている事は、誰でも分かること、
でも結果として、大失敗のジャンプしか出来ず、
銀メダルに終わった。
謝っても、誰も許せないかもしれない。
葛西は、原田に悪いと思いつつも、落胆するしかない。
原田は目が血走って、泣くしかない。
リレハンメルのドラマである。

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2007年3月 2日 (金)

五輪競技ノルディック複合は荻原兄弟から渡部兄弟へ

五輪競技ノルディック複合は荻原兄弟から渡部兄弟へ

冬季オリンピック競技でもある、
スキーのノルディックコンバインド競技で、新生が登場した。
渡部兄弟である。

以前は、草津温泉から長野原高校を経て、
早稲田大学に進学した荻原兄弟が有名である。
双子で顔もそっくり。

兄の荻原健司は宇宙人とも言われたノルディック複合のスペシャリスト。
日本で最も先にV字ジャンプを極めて、
ジャンプでリードし、クロスカントリーで粘るという、
今のスキーノルディック複合のスタイルを確立した人。

それまでは、
ギョームとか、エルデン兄弟とか、ルンドベルグとか、アーペラントとか、
その後のリーグルとかもそうだけど、
ジャンプはそこそこしか飛べないけど、
クロカンで逆転する選手が主流で、
そういうものこそが、キングオブスキーとして、
ノルディック複合の頂点に立っていた。

その当時は、純ジャンプの選手では、クロカンをかじった程度選手しか居ず、
前半の飛躍で首位に立っても、クロカンで抜かされるのが常識だったのだ。

それが荻原が頂点にたって変わった。
荻原は、もちろんジャンプが得意なのだが、
そのジャンプの強さが桁外れの上に、
クロスカントリーも、まずまず走れてしまった。

普通は、ジャンプが得意な人間は、クロカンは全く駄目だけど、
荻原健司は、それなりに走れたので、
幾ら追っても追いつかない・・・。
荻原健司の時代がはじまった。

まあその後は、少し年上の河野孝典や、
同じ年代の、ビヒャルテエンデンビーク、とか、
その辺りも、ジャンプ重視へと変わり、
ジャンプでリードして、クロカンで逃げるスタイルは、
万国共通となり、ルール改正も度重なった。

まあそんな中でも、当時の史上1位で、現在でも、
ビークに次いで歴代2位である19勝は、金字塔とも言えるからね。

彼は、いわゆる純ジャンプ、純飛躍と呼ばれるジャンプの選手よりも、
一早くV字ジャンプを習得したからそうなれたのである。

当時は、例えば、白馬の純ジャンプの大会では、
荻原はただのためしに出場しただけなのだが、
結局、日本の岡部や葛西などのオリンピック選手を破って勝利したこともある。
それほどの名選手である。

元々長野原高校時代も、
双子だったために割と有名で、
弟の荻原次晴とともに、しのぎを削っていた。
インターハイは、3年連続ワンツーフィニッシュだとか?

早稲田大学に入ってからも、インカレにおいて、
兄弟でワンツーフィニッシュをしていたものだ。
それほどの名選手であり、凄い兄弟なのだが、

それに匹敵するほどの兄弟が出てきた(前振り長すぎ)。
それが渡部兄弟。
今年の2月6日、第56回全国高校スキー大会・・
つまりはインターハイで、白馬高校の渡部暁斗が、
前半ジャンプでリードしたまま、後半距離でも踏ん張って優勝した。
彼は世界選手権の代表でもあり、
全く目立たなかったけど、トリノオリンピックの代表選手でもあった。
さすが上村愛子も出ている白馬高校。

彼は、国内の高校選手では別格なので、
ジャンプはダントツの1位、クロカンの距離も2位と、
安定したものだ。
これは先に期待が出来るね。

今まで複合は、割と調子が良くて、
児玉の時代もそれほど酷い成績ではなかったし、
東京美装の阿部雅司、リクルートの三ケ田礼一、野沢温泉クラブの河野孝典、
などの彼らの時代も、まずまずだし、
荻原兄弟の登場で一気にブレイクしたものだ。
その後、北村とか、富井とか、富井彦とか、
いろいろ出てきたけど、河野孝典を超える人は出てこないし、
高橋大斗もおお化けする事は無かった。
そこそこ優勝する事はあっても、大化けはしてくれない。
複合では、真の宇宙人が出てくることが望まれているのだ。

だがそんな複合界にも期待が持てる状況になった。
渡部暁斗に続き、弟の渡部善斗もやってきたのだ。
野沢温泉で開かれた第44回全国中学スキー大会で、
本来は複合の白馬中学3年生のの渡部善斗が純ジャンプで2位に入ったよ。

今年の複合での成績は知らないが、
去年は2年生の時に、
既に、ノルディック複合では優勝していて、
本来なら、複合の選手なのに、ジャンプでも2位に入る・・。

来年は、たぶん白馬高校に入るだろうし、
同じ白馬高校の兄、渡部暁斗とともに、
渡部兄弟による複合界の席捲が始まるかもしれないね。
うん、荻原兄弟以来の期待が持てる。
そんな白馬の渡部兄弟でした!

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2007年1月29日 (月)

ノルディック複合と丸山寿明評論家

ノルディック複合と丸山寿明評論家

ノルディック複合は、今となってはいろんな人が出ていましたが、
やっぱり1人上げるなら、白馬の丸山選手かな・・。

この選手は、志賀高原スキークラブの児玉さんとか、東京美装の阿部さんとか、
主に80年代から90年代にかけての世代の人だけど、
当時は、北野建設の荻原兄弟が、まだ長野原高校にいたりして、
インターハイで兄弟ワンツーフィニッシュしていた頃だから、
まあサラエボから、次のカルガリーの頃がメインなのかな・・。

当時は、児玉、阿部、三ケ田氏辺りは、海外W杯遠征組で、
海外を転戦してました。
もちろん当時は、まだ海外で勝てる訳はなく、
まあ泣かず飛ばずの複合日本でした。

そんな中、ベテランとは言われてましたが、
最後のオリンピックに出ようと、丸山氏は頑張ってましたねえ。
だけど彼が全日本で幾ら頑張って優勝しても、
年のせいか、中々難しかったかなあ・・。
海外転戦組は、何もしなくても高い評価で、少しひいきがあった気もする。

例えば、W選手とかもみんな出場して、丸山氏が全日本で優勝しても、
児玉は疲れているからと、海外組は、遠征で疲れているから、
例え勝っても負けても、仕方が無いという雰囲気があって、
幾ら勝っても結局はWカップ遠征メンバーに選ばれず、
駄目だったんだよね。
まあ年齢もあるかもしれないけど・・。

その後、河野氏、そして早稲田に入った荻原兄弟と出てきたら、
もう児玉氏あたりも駄目でしたけど、
アルベールビルやリレハンメルでは、
荻原、河野、三ケ田、阿部の4人が交代で戦うスタンスに代わってきたのは記憶に新しい。
リクルートの三ケ田にするか、ビソーの阿部にするか、悩みに悩んだところだけど、
二人とも、最後に金メダルを取れて、良かったのだろう。
功労者の二人だからね。

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2006年3月30日 (木)

ノルディック複合、ノルディックコンバインドの河野孝典氏

ノルディック複合の功労者といえば、
荻原兄弟や阿部雅司もそうですが、
やっぱり野沢温泉村出身で、野沢温泉スキークラブの河野孝典でしょうか。
彼の頑張りによって、荻原が育ち、
阿部や三ケ田が安定し、
そのパワーが集結されたように思う。

当時は、野沢温泉で育った河野がいち早く海外に出て、
エルデン兄弟と合同練習を行って、
その海外の強さの秘密と仕組みを学んできた。
そして荻原兄弟との切磋琢磨・・・。
彼らは、長野原高校でもインターハイで優勝し、
大学でもインカレで優勝し、ユニバーシアードで優勝し、
ノルディックコンバインドでは、敵なしだった訳で、
その荻原兄弟に、本物の強さを教えて上げたのは河野だからね(たぶん)。

だからリレハンメルオリンピックでの、
河野とビヒャルテ・エンデン・ビークとの死闘は、本当に凄かったと思う。
優勝はもう早くに行ってしまい、
2位争いは、河野、ビーク、荻原健司の3人の死闘となった。
ただ残念ながら、荻原は後から追い上げたけど、結局届かなかったので、
厳密にいえば、1人で死闘を戦っていたのだが、
河野とビークの2人によって、
当時のノルディック複合界の2大強国である、日本とノルウェーのエース対決を見せて貰った。

複合では、ある程度力の差もあるし、
特に上位については、差が開き易く、最後の直線まで争うケースはあまり無い。
しかしこの二人は凄かったねえ。
まさにデッドヒート、息が止まりそうな走りあい。
全身使って、ストックを突き出し、
スキーを蹴り上げる・・。

白い息は、右に左にもやもや上がるが、
それがあまりのスピードに風のようになって吹き抜けていくさまは圧巻であった。
息も絶え絶えになる頃、最後の最後に河野が少しだけ前に出て、
なんとか銀メダルゴールを飾る。
ビークもそのまま倒れこみ、銅メダル。
そして荻原健司は涙を浮かべて(たぶん)の、悔しい4位入賞・・。
ドラマがあったなあ・・。
複合日本が復活して欲しいなあ!

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